こんにちは。ゆっか(@_twinkler__)です。
今回は、わたしがこれまでインターネットでずっと秘密にしてきたことを暴露します。
それは、
- 先天性眼瞼下垂として、生まれつき右目がほぼ閉じて生まれてきたこと
- 2度形成外科のドクターに手術をしてもらって、今の自分がいること
- 今も目の左右の状態に違和感はあること です。
こんな疑問や思いに答えます。
この記事の目次
先天性眼瞼下垂とは、生まれつきの障がいである。
わたしは「先天性眼瞼下垂」という形成上の障がいをもって生まれてきた。
具体的に言うと、右目がほぼ開いていない状態で生まれてきた。
小さい頃の写真は、まるでウインクして写真に写る子どものように、片目が閉じているものばかりだ。
そんなちびっこウインクゆっかは、3歳の時に形成外科で手術をする。
目に光を入れておかないと、失明の可能性もあるとかないとかで、オペを受けたそうだ。
入院中の記憶が今でもちょっとだけあって、
というのは4人部屋の病室で、同じ病室のおばあちゃんによく可愛がってもらっていたり、
点滴をしていても、点滴のスタンドごと持って病院内を走り回っていたことだけは、なんとなく覚えている。
3歳で行った手術では、右目の瞼を一部切って視界を広げるというものだった。
おかげで、ウインク状態は卒業した。
小さい頃に手術をしたからと言って、病弱だとか大人しいとかは無縁だった。
わたしは本当におてんば娘だったようで、誰もいない公園に行っても
みんな〜!!!!!!!!
と言って遊ぶようなヤバいやつwだったらしい。
その根っからの明るさ(アホさ)から、元気にすくすくと育っていった。
見た目でいじめられてた(?)過去
そんな生活が、少しだけ変わってきたのが小学校の時。
小学校の高学年男子に「お化けみたい」と言われたり、「目が変だよ」と言われることがあった。
今思えば、あれはいじめられていたのかもしれない。
わたしは個人的に「いじめられた」という言葉があまり好きではない。
なんとなく、いじめる側だけがものすごく悪くて、いじめられる側は可哀想な悲劇のヒロインみたいなイメージが湧いてきてしまうからだ。
もちろん、いじめる側がよくない。それで命を落とす人もいるし。
だけど、いじめられる側にも原因があるのではないかと思う。(だからと言っていじめは肯定できないし、むしろいじめする側の方がメンタル的に問題あり)
ちょっと話が逸れてしまったので戻す。
そんな感じでいわゆる「いじめられてた」わたしだが、小学生の頃のわたしもバカポジティブだったからか、さほど気にしてなかった。
実際嬉しくはなかったし、今思えば悲しいことを悲しいと認識するのを拒んでいたのかもしれない。
靴や制服を隠されたこともあったけど、泣いたり反抗したりせず、
・・・。いやなことがあるなら直接言ってくればいいのに。。。
こんなことを思っていたように思う。
ちょっと傷付いてたのかもしれないけど、それよりも不満の気持ちの方が強かったように思う。
それに、幸い努力が当たり前の環境で育ったから、学業は優秀でクラスや学校をまとめる立場になることも少なくなかった。
活躍していて順風満帆そうに見えていたわたしが邪魔だったのかもしれない。(実際そんなことは全然なかった。ただ必死に目の前のことに取り組んでいただけ)
また、3歳の時に手術をしたとは言え、目の大きさは左右でまあまあ違ったが、ありがたいことに(自分で言うのは恥ずかしいけど)モテてて、仲良しの同性の友達もいた。
自分が外見に欠陥があるとは思っていたけど、それでもそんな自分を受け入れて、他の部分で人より努力することで自分を保っていたのかもしれない。
それは、入退院を繰り返す母親の影響も大きかった。
いい成績を残して、活躍していれば、自分が生きてる価値はあるし、親も安心する。
こんなことを心のどこかで思いながら、子ども時代を過ごしていた節があった。
そして中学、高校と進学して、大学で上京した。
先天性眼瞼下垂とは関係のないところで壁にぶち当たったり、人生の進路に思い悩む時期もありながら人生を進めていった。
眼瞼下垂でも夜の仕事で「見られる」ことを選んだ理由
しかし、上京してから、18年間実家でため込んでいたものが、面白いくらいに爆発した。
今回の記事の趣旨とは異なってしまうため詳細は省くが、とにかくはっちゃけた。
朝も昼も夜も、とにかく動いていた。
そして、大学1年生くらいの時に、2度目の手術を形成外科でしてもらった。
前回の手術では、瞼を切って見える範囲を広くするためのものだったが、今回の手術では、腰の筋を瞼に入れて、目蓋を持ち上げるための力を加えてもらった。
そのおかげで、以前より目が開きやすくなった。
ただその反面、ちょっと顔を下げた時は右目だけ開いてて、左目はしたを向いているというようなちょっとおかしな見た目になったり、筋肉で瞼を上げやすくなった分、目がしっかり閉じないデメリットもあった。
今もそのハンデがありながら生活しているが、これも含めて自分の個性なので嫌いじゃない。
そして、2度目の手術から約1年後、夜の世界に足を踏み入れる。
夜の世界で働くことなんて、外見ありきは言うまでもない。
だけど、手術してマシになったとはいえ目に違和感ありまくりの女が水商売なんて、
ましてや銀座のクラブでなんて無理だろ、と普通は思うであろう。
駄菓子菓子(死語すぎて草)、わたしはあえてそういう世界に飛び込むのが好きな人間だ。
たまたま銀座のクラブに精通している知り合いのツテで面接に行き、採用してもらうことができた。
そして、初出勤日に同伴が決まった。うれしかった。
水商売の世界ですら、見た目だけが大事でないことを思い知った気がした。
結局、そのお店では約3年も働かせてもらった。
わたしにとって銀座の世界はそのお店が全てだ。
決して大きな箱ではなかったが、ナンバーワンになることもできた。
ホステスをやりながら、他にも様々なバイトを掛け持ちして、毎日とにかく必死に生きていたように思う。
人と関わるだけではなく、本を読んで、多くの知識や感覚を取り入れることも大事にしながら生活していた。
自分自身を受け入れることは、簡単じゃないけど強くなれる。
今回、わたしの秘密をこうやってブログで書こうと思ったのも、
- 同じような立場の人がいたら、少しでも一人じゃないことを知って欲しい
- ハンデがあっても、むしろあるからこそ挑戦が面白いものになる
- 自分のことをさらけ出して、生きやすい世の中にしたい
こんな思いがあったからだ。
わたしは実名フルネームでもなければ、顔出しもせずネットで息をさせてもらっている。
だったらせめて、ネットで伝えることは全て本当のことを伝えたいし、本音を発信していこうと日々思って活動している。
本来、わたしたちは生きてることがまず素晴らしいこと。
しかも、日本に生まれてきたことがめちゃくちゃ恵まれてるし、きっと今この文章を読んでくれている人でトップレベルに大変な人っていないんじゃないかと思う。
だけど、日本ってとても生きづらい国になってきてしまっている部分があるのも事実。
自らの命を絶つことを選ぶ人や、精神疾患になって人間らしい生活を営むことが難しい人も少なくない。
心身のエネルギー切れを起こしている人が、そう遠くないところに一人はいるのが、今の日本社会だと思う。
だからこそわたしは、自分で自分を整えること=セルフごきげんの大切さ、そしてあげまん/あげめんマインドを提唱し続けたい。
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